「親不孝通り」の名前は治安が悪くなるからという理由で「親富孝通り」に変わった。と同時に、長浜公園にも若者がたむろしないよう植木で埋め尽くしてしまった。あの頃から親不孝通りで遊んでた若者たちはシラケて西通りへと流れていった。失った活気を取り戻そうと20年経って再び名前を「親不孝通り」に戻すことになったというニュースがツイッターのトレンドワードに入っていた。

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http://mainichi.jp/articles/20170220/k00/00m/040/132000c


正直どうでもいいニュース...。親不孝通りが親富孝通りに改名して以降も誰も親富孝って文字使ってなかったし(笑)。そもそも「親不孝通り」って愛称やからね、変えるってセンスに当時はドン引きしたものだ。


24年前、俺が親不孝通りの河太郎(現在、ローソン)の前で路上シンガーをやり始めたのが18歳、その頃はまだストリートミュージシャンって言葉ではなく「路上シンガー」とメディアでは紹介されていた。当時の親不孝通りは全国的にも有名な路上シンガーのメッカだった。
 
この写真、18歳の頃の俺(笑)。

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通りの入り口(当時は吉野家)では、現アダチ宣伝社の足達さんが一輪車に乗ってピアニカ吹いてたり、タンバリン叩き語りのMrタンバリンマンなど、親不孝通りには10人くらい何かやってる人がいて、ここは誰の場所という暗黙の縄張りがあった。


バブルが崩壊した直後だったけど今より景気はずいぶん良かったんだろう、親不孝通りは平日でも人がいっぱいだったし、週末には人をかき分けながら歩くくらい賑わっていて、路上で数時間歌えばギターケースにお金がぽんぽん入り1日のバイト代くらいにはなっていた。


しかし歌ってると酔っ払いだけじゃなく、ヤンキーやデカい外人にも絡まれたり…。


お客さんが集まって盛り上がってくれた夜はよく終電を乗り過ごしてしまい朝まで歌ったりもしたし、冬の寒い日は電話ボックスで眠ったりもした。楽しかったなあ。
 

一年ほど路上シンガーをしたあと、照和のオーディションに合格して歌う場がライブハウスに変わった。その頃ゆずがデビューし、全国各地にギターとタンバリンで爽やかに歌う二人組が爆発的に急増しストリートミュージシャンブームが巻き起こる。反比例して親不孝通りからは路上シンガーが消えていったように思う。
 

その頃よく飲みに行ったのは、親不孝通りの「ふとっぱら」。当時はキースフラックの隣にある現・将丸ラーメンの場所が「ふとっぱら」だった。あの頃は本当に安くてボリューム満点だったが、儲け主義に変わってどんどん店舗数を増やしだしてからふとっぱらではなくなった。


その後、照和をクビになって再び活動の拠点は親不孝通りになる。feelやブードゥーラウンジ、キースフラック、デカタンデラックス、グランドタウンなど、親不孝周辺はライブハウスやクラブの密集地帯だった。いまでもその密集度は変わらない。

キースフラックがあるマジックスクエアビルとかやっぱりバブル期に建てられたって感じする、かなり異常なデザインのビル。
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あと、いまは閉鎖中だけど、このゴールドのビルも巨大ロボみたいですごい。

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今だにブードゥーラウンジを拠点に親不孝周辺が自分のテリトリーだと思ってる、考えてみれば18歳の頃からかれこれ24年間、ずーっと親不孝通りにいるんだなあ。もはや親不孝っていうか、自分自身が親になってしまったが(笑)。


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しかし、親不孝通りに活気を取り戻したいってことだけど、俺は今くらいの寂れた感じのほうが落ち着くんだよなあ(笑)。